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| 増田 誓志 |
| 名前 |
| カタカナ |
マスダ チカシ |
| ラテン文字 |
MASUDA Chikashi |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1985年6月19日(23歳) |
| 出身地 |
宮崎県 |
| 身長 |
179cm |
| 体重 |
75kg |
| 血液型 |
B型 |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
鹿島アントラーズ |
| ポジション |
MF |
| 背番号 |
14 |
| 利き足 |
右足
|
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
|
増田 誓志(ますだ ちかし、1985年6月19日 - )は、宮崎県出身で鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。主にトップ下、ボランチ、右サイドバックとしてプレーする。U-22日本代表選手。
また鹿島アントラーズのチームメイトの興梠慎三は鵬翔高等学校時代からの後輩である。イケメンとして評判で女性ファンから人気が高いのも特徴。試合に負けるといつも泣いている、というのは本人の弁。
[編集] プレースタイル
高校時代は、パスの出し手としてスルーパスを狙う典型的な“司令塔”タイプだったが、鹿島アントラーズに入団後Jリーグ屈指の司令塔・パサーであり尊敬する小笠原満男のプレーを目の当たりにし、「パサーはチームに二人要らない」とスタイルを転換。パスの受け手として豊富な運動量とゴール前への飛び出しを武器とする攻撃的MFとなる。そのスタミナで昨年はボランチを任された試合も多い。ボランチあるいは二列目からDFラインの裏を狙う動きで相手ゴールを脅かしヘディングシュートが得意。 以前は本職のMFではないサイドバックでの起用など本意とするところではなかったが、2008年8月16日の東京ヴェルディ戦で負傷の内田篤人に替わり右サイドバックで再び先発起用されると、フィジカル、高さ、走力と運動量を活かしたアップダウン、精度の高いパス・クロスの配球、視野の広さによるチャンスメイクなど攻守に高いパフォーマンスを発揮して勝利に貢献した。 オリヴェイラ監督にも不慣れな点・向上の余地はあるものの高い評価を得、今後も内田不在時にはサイドバックで先発で起用し続けたいとまで言わしめた。増田自身も戦後、「ラストチャンスだと思っていた」と語り、本人の精神的な成長も含め 高い技術と身体能力を併せ持つ彼のポテンシャルが開花しつつある。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1992年 - 1997年 木花少年団
- 1998年 - 2000年 木花中学校
- 2001年 - 2003年 鵬翔高等学校
プロ経歴
[編集] 経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 2004 |
鹿島 |
26 |
J1 |
8 |
2 |
5 |
0 |
2 |
0 |
15 |
2 |
| 2005 |
鹿島 |
26 |
J1 |
19 |
2 |
6 |
1 |
3 |
3 |
28 |
6 |
| 2006 |
鹿島 |
26 |
J1 |
23 |
0 |
11 |
2 |
1 |
0 |
35 |
2 |
| 2007 |
鹿島 |
14 |
J1 |
23 |
3 |
6 |
1 |
0 |
0 |
29 |
4 |
| 2008 |
鹿島 |
14 |
J1 |
19 |
0 |
2 |
0 |
2 |
1 |
23 |
1 |
| 通算 |
日本 |
J1 |
92 |
7 |
30 |
4 |
8 |
4 |
130 |
15 |
| 総通算 |
92 |
7 |
30 |
4 |
8 |
4 |
130 |
15 |
[編集] 代表歴
- U-18、U-19日本代表
- U-21、U-22日本代表※U-22では背番号10をつけていた
[編集] 外部リンク
この記事の更新日時:2009年01月09日04時24分