奥大介
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| 選手名 | 奥大介(おく だいすけ) |
| 高校名 | 神戸広陵 | ポジション | MF | 生年月日 | 1976年2月7日 |
| 身長体重 | 173cm/72kg |
| 血液型 | |
| 出身校・クラブ | 兵庫県尼崎市 | 経歴 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 奥 大介 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ダイさん・おっくん | |
| カタカナ | オク ダイスケ | |
| ラテン文字 | OKU Daisuke | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年2月7日(32歳) | |
| 出身地 | 兵庫県尼崎市 | |
| 身長 | 173cm | |
| 体重 | 68kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | MF | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1994-2001 2002-2006 2007 |
ジュビロ磐田 横浜F・マリノス 横浜FC |
147(36) 117(25) 16(1) |
| 代表歴2 | ||
| 1998-2004 | 26(2)
|
|
|
1国内リーグ戦に限る。2007年12月15日現在 22007年12月15日現在 |
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奥 大介(おく だいすけ、1976年2月7日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。妻は女優の佐伯日菜子。2児の父である。
目次 |
[編集] プレースタイル
プロデビュー後は中盤から前線に進出するプレーを得意とした。また磐田時代はチームの構成に応じて、セカンドストライカーからサイドMF・守備的MFまでを幅広くこなす。キャリアを重ねる毎に、攻撃的なポジションのみならず中盤の底でも効果的なプレーを発揮して藤田俊哉や名波浩らと中盤を構成、磐田の黄金時代の成立に貢献した。マリノス移籍後は主に中盤を指揮、司令塔として活躍。
[編集] 略歴
- 1991年4月 - 神戸弘陵高校に入学。
- 1992年 - 高2。第71回全国高校サッカー選手権大会に出場。
- 1993年 - 高3。国体準優勝。第72回全国高校サッカー選手権大会に2度目の出場。ベスト8。大会優秀選手に選出。
- 1994年4月 - ジュビロ磐田へ入団。同年、U-19日本代表に選出され、アジアユースに出場。
- 1995年 - U-20日本代表に選出。ワールドユースに出場。
- 1996年 - 5月4日、対サンフレッチェ広島戦でJリーグ初出場を果たす。
- 1997年 - 7月5日、対京都パープルサンガ戦でJリーグ初得点を記録。
- 1998年 - 10月28日、フィリップ・トルシエ監督の初采配となった、キリンチャレンジカップ対エジプト戦で代表戦初出場。同年、初のJリーグベストイレブンを獲得。
- 1999年 - 9月8日、対イラン戦で代表初ゴール。
- 2002年 - 志願して横浜F・マリノスにレンタル移籍。シーズン終了後に完全移籍。岡田武史が横浜の監督に就任後はチームの中心選手となった。
- 2006年 - 不振によりレギュラーから外れることもしばしばあり、11月28日にマリノスから戦力外通告を受ける。
- 2007年 - 横浜FCへ移籍。故障もあり満足なプレーが出来ないままシーズン終了。横浜FCのJ2降格に対する責任感と、盟友・久保竜彦が解雇されたことによりモチベーションが低下したとして現役引退。[1]
- 2008年 - 横浜FCのサッカースクールテクニカルアドバイザーに就任し、今後は後進の指導に当たる。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1994 | 磐田 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 1995 | 磐田 | - | J | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 1996 | 磐田 | - | J | 6 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 |
| 1997 | 磐田 | 29 | J | 26 | 9 | 12 | 3 | 4 | 0 | 42 | 12 |
| 1998 | 磐田 | 29 | J | 32 | 12 | 6 | 2 | 3 | 0 | 41 | 14 |
| 1999 | 磐田 | 8 | J1 | 28 | 7 | 4 | 0 | 3 | 0 | 35 | 7 |
| 2000 | 磐田 | 8 | J1 | 30 | 4 | 4 | 0 | 3 | 0 | 37 | 4 |
| 2001 | 磐田 | 8 | J1 | 25 | 4 | 6 | 0 | 2 | 0 | 33 | 4 |
| 2002 | 横浜FM | 37 | J1 | 26 | 7 | 0 | 0 | 2 | 1 | 28 | 8 |
| 2003 | 横浜FM | 14 | J1 | 26 | 5 | 5 | 1 | 1 | 0 | 32 | 6 |
| 2004 | 横浜FM | 14 | J1 | 25 | 10 | 4 | 1 | 2 | 1 | 31 | 12 |
| 2005 | 横浜FM | 14 | J1 | 25 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 28 | 2 |
| 2006 | 横浜FM | 14 | J1 | 15 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 20 | 2 |
| 2007 | 横浜FC | 14 | J1 | 16 | 1 | 2 | 1 | ||||
| 通算 | 日本 | J1 | 280 | 62 | 56 | 8 | 23 | 3 | 341 | 71 | |
| 総通算 | 280 | 62 | 56 | 8 | 23 | 3 | 341 | 71 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2004 | 横浜FM | 14 | 4 | 1 |
| 2005 | 横浜FM | 14 | 5 | 1 |
| 通算 | AFC | 9 | 1 | |
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 1996年5月4日 J 第12節 対サンフレッチェ広島戦(ジュビロ磐田スタジアム)
- Jリーグ初得点 - 1997年7月5日 J 第13節 対京都パープルサンガ戦(西京極陸上競技場)
[編集] 受賞歴
[編集] 個人タイトル
- 1998年 - Jリーグベストイレブン
- 2003年 - Jリーグベストイレブン
- 2004年 - Jリーグベストイレブン
[編集] チームタイトル
- Jリーグ1stステージ
- 1998年、1999年、2001年(ジュビロ磐田)
- 2003年、2004年(横浜F・マリノス)
- Jリーグ2ndステージ
- 1997年(ジュビロ磐田)
- Jリーグ年間優勝
- 1997年、1999年(ジュビロ磐田)
- 2003年、2004年(横浜F・マリノス)
- ナビスコカップ
- 1998年(ジュビロ磐田)
- ゼロックス・スーパーカップ
- 2000年(ジュビロ磐田)
- アジアクラブ選手権
- 1998年、1999年
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 1994年 アジアユース
- 1995年 ワールドユース
- 1999年 コパ・アメリカ
- 2000年 アジアカップ
- 2000年 カールスバーグカップ
- 2000年 ハッサン2世カップ
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ
- 2003年 東アジアサッカー選手権
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 26試合 2得点(1998-2004)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1998 | 1 | 0 |
| 1999 | 5 | 1 |
| 2000 | 12 | 1 |
| 2001 | 4 | 0 |
| 2002 | 0 | 0 |
| 2003 | 3 | 0 |
| 2004 | 1 | 0 |
| 通算 | 26 | 2 |
[編集] 逸話
- 磐田時代にサポーターズマガジン上で、自分にブーイングを浴びせるサポーターについて、「そういう人たちはお金払うからスタジアムに来んといてほしい。」と発言したことがある。この発言の背景には、現夫人の佐伯日菜子との交際を快く思わず、嫌がらせまがいの行動を行うサポーターたちがいたこともあった。だが、実際はそれらのサポーター以外にも奥本人のモチベーションの低下を練習から感じ取った、地元のサポーターからの叱咤も含んでいたため、サポーターの反感を買ってしまった面もあった。
- 磐田での最終戦となった2001年の天皇杯4回戦、対東京ヴェルディ1969戦で退場処分になっている。奥本人の話では主審(スキンヘッドだった)に対して判定への不満を「どこ見てんのや、ハゲ」とつぶやいた所、当の主審に聞こえてしまった事が理由。この処分のためF・マリノスへの移籍直後は試合に出られなかった。
- F・マリノス移籍初年度の2002年のシーズン終盤のある試合において、同僚のウィルが試合中、奥に全くパスを出さなかった挙句、奥を後ろから蹴り飛ばしこの事件が原因でウィルが解雇されたことは有名である。
- 2004年2月、茨城県鹿嶋市内で代表合宿中に奥と久保竜彦、小笠原満男、山田卓也、茂庭照幸、大久保嘉人、都築龍太が夜中に無断でキャバクラに行っていたことが発覚し、ジーコ監督から怒りを買ってしまい代表から外されてしまった(その後、代表への選出がないのは奥だけである)。以降このメンバーはキャバクラセブンと呼ばれるようになった。
- 奥の代名詞とも言えるルーズソックスは、ファッションとしてではなく、ふくらはぎが太く、ソックスを上げてプレーするとゴム部に圧迫されこむら返りを起こしてしまうため。
- 磐田時代の同僚である福西崇史と仲がよく、2人とも磐田から移籍した後の2007年6月にも週刊サッカーマガジン誌上で一緒にインタビュー取材を受け、様々なエピソードを語った。磐田時代の同僚では高原直泰とも仲が良い。
- 久保竜彦とは公私共に付き合いがあり、夫人より仲が良いとまで言われている。
- Jリーグチャンピオンシップ日本人最多出場、21世紀J1リーグ初ゴールは奥である。
- 2006年いっぱいでF・マリノスから戦力外となった際に「もうサッカー辞めようか」と思ったこともあったが、磐田時代の先輩・藤田俊哉や名波浩から電話があり「まだやれるでしょ」と言われ、特に藤田が「俺は40までやるよ」と言ったのに刺激を受けたとのこと(週刊サッカーマガジン誌にて発言)
- 子供の頃の夢はプロ野球選手で、阪神タイガースのファンである。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事の更新日時:2009年01月07日04時08分