木寺浩一

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選手名木寺浩一(きでら こういち)
高校名武南
ポジションGK
生年月日1972年4月4日
身長体重179cm/71kg
血液型
出身校・クラブ埼玉県
経歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

木寺 浩一
名前
愛称 キデ
カタカナ キデラ コウイチ
ラテン文字 KIDERA Koichi
基本情報
国籍 日本
生年月日 1972年4月4日(36歳)
出身地 埼玉県日高市
身長 179cm
体重 74kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム 日本の旗
ポジション GK
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1991-1993
1994-1995
1996-1997
1998-2005
2006-2008
日本の旗 NKKサッカー部
日本の旗 京都パープルサンガ
日本の旗 ルミノッソ狭山
日本の旗 アルビレックス新潟
日本の旗 サンフレッチェ広島
018 (0)
08 (0)
? (?)
071 (0)
23 (0)


1国内リーグ戦に限る。2008年11月30日現在
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

木寺 浩一(きでら こういち、1972年4月4日 - )は、埼玉県日高市出身のプロサッカー選手。ポジションはGK

目次

[編集] プレースタイル

派手なプレーは少ないが、反応に優れており、安定感のあるセービングには定評がある。

[編集] 来歴

武南高校時代は1年生の時からレギュラーの座を掴み全国高校サッカー選手権において準優勝と3位という経歴を持つ。また高校3年次には日本ユース代表に選出され、1990年のAFCユース選手権に出場した。高校卒業後、NKK京都パープルサンガ[1]JFL)とクラブを渡り歩いた。

京都を解雇された1996年1月から9ヵ月間はサッカーとは無縁の生活を過す。その間怪我で左肩じん帯を断裂、手術の際に医師に「リハビリすれば、サッカー選手として十分やっていける」と告げられたことで意欲を目覚めさせ、1996年11月にルミノッソ狭山入り[2]

1998年には浜野征哉の負傷による緊急補強という形でJFL・アルビレックス新潟に移籍。翌1999年にJ2昇格し吉原慎也と、翌2001年以降は野澤洋輔とスタメンを争う。2004年2ndシーズン、野澤の負傷離脱により出番が回りJ1デビュー、そのシーズンにおける4連勝の原動力となった[3]。2005年は野澤の出場停止をきっかけにスタメンを奪ったが、同年11月30日に若手育成のため、戦力外通告を受ける。

2006年からはサンフレッチェ広島に移籍し、下田崇のバックアッパー。2008年には下田の怪我による出遅れがあったため、レギュラーとして定着するも、同年6月21日J2第21節対水戸ホーリーホック戦で肩を脱臼し戦線離脱、その穴を埋めた佐藤昭大の台頭により同年末に戦力外となった。

[編集] 所属クラブ

[編集] 出場歴・タイトル

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1992 NKK 25 旧JFL1部 17 0 - 0 0 17 0
1993 NKK 旧JFL2部 1 0 - 0 0 1 0
1994 京都 31 旧JFL 8 0 - 3 0 11 0
1995 京都 旧JFL 0 0 - 0 0 0 0
1996 狭山 関東 0 - 0 0
1997 狭山 関東 0 - 2 0 0
1998 新潟 27 旧JFL 18 0 - 0 0 18 0
1999 新潟 1 J2 14 0 0 0 0 0 14 0
2000 新潟 20 J2 18 0 2 0 3 0 23 0
2001 新潟 1 J2 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 新潟 1 J2 2 0 - 1 0 3 0
2003 新潟 1 J2 0 0 - 1 0 1 0
2004 新潟 1 J1 11 0 0 0 0 0 11 0
2005 新潟 1 J1 8 0 0 0 1 0 9 0
2006 広島 21 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2007 広島 21 J1 3 0 0 0 0 0 3 0
2008 広島 21 J2 19 0 - 0 0 19 0
通算 日本 J1 23 0 0 0 1 0 24 0
日本 J2 53 0 2 0 5 0 60 0
日本 旧JFL1部 43 0 - 3 0 46 0
日本 旧JFL2部 1 0 - 0 0 1 0
日本 関東 0 - 0 0
総通算 0 2 0 0 0

[編集] 脚注

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  1. ^ 京都時代は、美濃部直彦田中真二足立修らとプレー。
  2. ^ 狭山時代は自動車のエアコンなどを組み立てる仕事に従事した後、サッカーに取り組んでいた。
  3. ^ 特に24節、鹿島アントラーズの猛攻から新潟ゴールを守りきった試合は語り草である。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この記事の更新日時:2009年01月09日04時05分

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