野口幸司
コメント(0) トラックバック(0) 
| 選手名 | 野口幸司(のぐち こうじ) |
| 高校名 | 市立船橋 | ポジション | MF | 生年月日 | 1970年6月5日 |
| 身長体重 | 177cm/68kg |
| 血液型 | |
| 出身校・クラブ | 千葉県 | 経歴 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 野口 幸司 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| カタカナ | ノグチ コウジ | |
| ラテン文字 | NOGUCHI Koji | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1970年6月5日(38歳) | |
| 出身地 | 千葉県 | |
| 身長 | 177cm | |
| 体重 | 68kg | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | FW | |
| 代表歴 | ||
| 1995 | 1 (0)
|
|
野口 幸司(のぐち こうじ、1970年6月5日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現在はサッカー解説者を務めている。ポジションはフォワード。市立船橋高校ではインターハイ2連覇、高校選手権でも準優勝を経験するなど、初期の黄金時代を築く主役として活躍した。高校1年生からレギュラーで出場しており、当時は小川選手(元名古屋グランパス)、曽我選手(元水戸ホーリーホック)と野口選手の3人が市船の将来を託された選手であった。特に市船の売りである「鉄壁のディフェンス」は、野口選手が2年生のときは完成している。高校2年生のとき高校総体インターハイ(北海道開催)では、初出場初優勝を飾っている。その後、野口選手が3年生のときも高校総体インターハイでも優勝しており市船は高校総体2連覇を達成した。特にこの大会では野口選手は毎試合得点をしており市船優勝の原動力であった。この時はMFでありゲームも作るが得点もする怖い選手であった。市船の頭脳であった。
目次 |
[編集] 略歴
ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)の黄金期を支えたエースストライカー。1994年にJリーグに昇格したベルマーレ平塚の、リーグ戦での初得点者でもある(ヴェルディ川崎戦 1994年3月)。
プレースタイルは昨今(2006年現在)では珍しいワンタッチゴーラータイプで、シュート力、ヘディング、ドリブルなど、特段秀でたものはなかったが、決定力が非常に高く、シュート1本あたりのゴール確率はJリーグトップクラスであった。また、ベルマーレ在籍当時は、ベッチーニョ、アウミールと典型的なドリブル突破からラストパスを送るタイプの選手が在籍したためにあまり目立たなかったが、JFL当時はウインガーとしてプレーするなど、サイドからのパスにも非凡な面を持っていた。
1995年5月3日、サントリーシリーズ第13節鹿島アントラーズ戦でJリーグ1試合個人最多得点記録となる5得点を記録。ちなみにこの試合は新人であった中田英寿がJリーグ初得点を記録した試合であり、ベルマーレが7-0で勝利した。中田は後半に野口の得点もアシストしている。この記録は湘南ベルマーレとなって以降を含め、最多得点差試合である。
2006年現在はテレビ東京やWOWOWのサッカー解説などをつとめている。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1989-90 | フジタ | JSL1部 | 1 | 0 | |||||||
| 1990-91 | フジタ | JSL2部 | 2 | ||||||||
| 1991-92 | フジタ | JSL2部 | 19 | ||||||||
| 1992 | フジタ | 7 | 旧JFL1部 | 15 | 11 | - | |||||
| 1993 | フジタ | 旧JFL1部 | 18 | 10 | - | ||||||
| 1994 | 平塚 | - | J | 42 | 19 | ||||||
| 1995 | 平塚 | - | J | 49 | 23 | - | |||||
| 1996 | 平塚 | - | J | 27 | 11 | ||||||
| 1997 | 平塚 | 11 | J | 12 | 0 | - | |||||
| 1997 | 川崎 | 36 | 旧JFL | 15 | 9 | - | |||||
| 1998 | 名古屋 | 13 | J | 13 | 6 | ||||||
| 1999 | 名古屋 | 13 | J1 | 6 | 0 | ||||||
| 2000 | 大宮 | 9 | J2 | 31 | 4 | ||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 149 | 59 | |||||||
| 日本 | J2 | 31 | 4 | ||||||||
| 日本 | JSL1部 | 1 | 0 | ||||||||
| 日本 | JSL2部 | 21 | |||||||||
| 日本 | 旧JFL1部 | 48 | 30 | ||||||||
| 総通算 | 114 | ||||||||||
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(1995)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1995 | 1 | 0 |
| 通算 | 1 | 0 |