アデミール・サントス(三渡洲アデミール)
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| 選手名 | アデミール・サントス(三渡洲アデミール)() |
| 高校名 | 東海大一 | ポジション | FW | 生年月日 | 1968年3月28日 |
| 身長体重 | |
| 血液型 | |
| 出身校・クラブ | ブラジル | 経歴 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 三渡洲アデミール | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| カタカナ | サントス アデミール | |
| ラテン文字 | SANTOS Ademir | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1968年3月28日 | |
| 出身地 | ブラジル | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | MF
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三渡洲アデミール(さんとす アデミール、Ademir Santos、1968年3月28日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。1995年に日本へ帰化した。
[編集] 来歴・人物
ブラジル時代はCAジュベントスのユースチームに所属し三浦知良とチームメイトであった。1985年5月に東海大一高に留学生として来日。1987年、二年生(留学生のため、年齢的には他の二年生より一歳上)の時には全国高校選手権で同校を優勝に導き得点王に輝いた。決勝戦の国見高校戦における見事なフリーキックは語り草になっている。また同学年のチームメイトには澤登正朗、吉田康弘らがいる。
年齢規定の為、三年次には高校の公式戦への出場が適わなかった為、在学中にヤマハ発動機サッカー部に入部。1987-88シーズンに同サッカー部のJSL初優勝を経験する。しかし、その後は怪我と外国人枠の関係で出場機会を得る事が少なかった。
1991年に清水エスパルスに入団するが、Jリーグバブルの真っ最中ということもあり、有名外国人選手の影で外国人枠の壁に阻まれ、なかなか公式戦出場はかなわなかった。そのため、日本人女性と結婚したこともあり、日本への帰化を決意する。
のちに同様の境遇であった呂比須ワグナー選手が帰化後に日本代表に選ばれたため、一部の心無い人間から「日本代表になるために帰化したのになれなかった」という侮辱を受けたが、事実は異なるのである。帰化するかどうか悩んでいた三都主アレサンドロ選手から相談を受けた際も、「代表選手になりたいだけならやめておいた方がいい」とアドバイスしている。
しかし、一時ブラジルに帰国したことが居住条件の継続性を満たさないとして申請が却下されるなど(呂比須ワグナーも同様の理由で一度却下されている)、帰化はなかなか認めらなかった。
1995年、念願かなってようやく日本への帰化が認められると、名前をアデミール・サントスから三渡洲アデミールに改め、リーグ戦にも出場してゴールを決めた。その試合後には、号泣しながらその喜びを語っていた。
だが、その後は度重なる怪我のため満足なプレイが出来ず、医者から「このままでは選手を続けることはできない。引退するか、手術を受けて長期間のリハビリを受けるかを選択するように」との宣告を受けた。サントスは「今まで働いて自分を支えてくれた奥さんにこれ以上迷惑をかけられない。今なら店を出す資金を出してくれる人もいるから」ということで引退を決意、1996年シーズンを最後に現役を退いた。引退後は静岡市内のレストラン「バナナシュート」のオーナーを務めていたが、2005年に閉店。現在は2007年度に創部された株式会社イカイのサッカー部監督として活動している。
息子の三渡洲舞人は現在流通経済大学付属柏高等学校でFWとしてプレーしている。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
- リーグ戦 11試合2得点
- カップ戦 1試合0得点
- 天皇杯 1試合0得点