森山泰行

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選手名森山泰行(もりやま やすゆき)
高校名帝京
ポジションFW
生年月日1969年5月1日
身長体重171cm/72kg
血液型
出身校・クラブ岐阜県
経歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森山 泰行
名前
愛称 ゴリ
カタカナ モリヤマ ヤスユキ
ラテン文字 MORIYAMA Yasuyuki
基本情報
国籍 日本
生年月日 1969年5月1日(39歳)
出身地 岐阜県岐阜市
身長 171cm
体重 72kg
血液型 B型
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1992-1997
1998
1998-1999
1999
2000
2001-2002
2002-2003
2004
2005-2008
名古屋グランパスエイト
ベルマーレ平塚
ヒット・ゴリツァ
サンフレッチェ広島
川崎フロンターレ
名古屋グランパスエイト
コンサドーレ札幌
名古屋グランパスエイト
FC岐阜
148 (51)
04 (0)
010 (1)
011 (3)
014 (0)
033 (12)
09 (0)
01 (0)
021 (7)
代表歴2
1997 日本 01 (0)


1国内リーグ戦に限る。2007年12月26日現在 22007年10月17日現在
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

森山 泰行(もりやま やすゆき、1969年5月1日 - )は、岐阜県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。引退後、FC岐阜アドバイザーを務めている。

目次

[編集] 来歴

サッカーの名門・帝京高校から順天堂大学を経て1993年、Jリーグの発足と共に名古屋グランパスエイト入団。146試合出場51得点を挙げチームの主力選手として活躍し、その後1998年にベルマーレ平塚に移籍するもケガなどで出場機会に恵まれず。

1998年にスロベニアリーグの強豪・ヒット・ゴリツァND Gorica)でプレーした後、1999年にブラジルのポルトゲーザジュベントゥージのテストを受け合格するも入団せず、同年の下半期はサンフレッチェ広島、2000年川崎フロンターレと移籍を繰り返した。2001年から名古屋に復帰し、その年は26試合12得点で復調を見せたかに見えたが、2002年シーズン途中でコンサドーレ札幌に移籍。2004年みたび名古屋に復帰するも出場はなく、その年で一旦現役を引退した。

しかし、2005年に森山の地元・岐阜県で将来のJリーグ参入を目指して取組みを始めたFC岐阜からの要請を受けてアドバイザー兼任で現役選手復帰を果たした。2007年からはさらに取締役も兼任している。森山はかねてから「引退したら(地元である)岐阜でチームを立ち上げたい。子供たちに夢を与えたい」との夢があり、FC岐阜のJリーグ昇格に尽力、J2への昇格を実現させた。GM第一人者とも言われる元広島総監督である今西和男のFC岐阜GM就任も、森山の熱意に打たれたものである。また地元中京地区でテレビのスポーツコメンテーターをしている他、名古屋のローカルタレントである黒岩唯一と共にフットサルチーム「KURO FC」を立ち上げるなど、サッカー文化の地域密着に大きな関心と情熱を傾けている。

日本代表としては1997年6月15日長居スタジアムで行なわれたキリンカップ1997・トルコ戦(○1-0)でA代表デビュー。代表通算1試合0得点。順天堂大学時代も日本代表に選出された経験をもつが、試合には出場していない。

ピクシーことドラガン・ストイコビッチとのコンビネーションが絶妙で、ピクシーから放たれるファンタスティックなパスを幾度となく見事ゴールしていた。ピクシーからは「ペナルティエリア内の虎」と評価されていた。

名古屋時代の恩師であるアーセン・ベンゲルは、日本を離れイングランドに移った後も森山を気にかけており、イングランドに取材に来る日本人記者に「ゴリ(森山)は元気か?」と聞く事があった。

2004年に現役を一時引退した際、名古屋地区のJリーグ中継における解説を兼任し始め、FC岐阜に関わってからも解説者活動をしていたが、FC岐阜がJ2に2008年度から加盟すると決定してからは、解説者活動にある程度の区切りをつけ「コーチ兼任ではなく選手一本でやる」と公言してFC岐阜に専念した。

2008年9月、同シーズン限りで現役を引退し、FC岐阜のアドバイザーに就任することを発表した[1]

[編集] プレースタイル

ゴール前での集中力の高さ、動きの質の高さが特徴。名古屋時代はスーパーサブとして活躍。「負けている状況でも、森山が投入されれば逆転可能」と名古屋のサポーターから絶大な信頼を受けていた。

試合後半の最後の時間帯での決定力はJリーグ随一と言われ、ストイコビッチ、望月重良平野孝などの質の高いパサーからのアシストを受けて貴重なゴールを量産した。 身長も高くはないがヘディングも上手く、滞空時間も長い。時には泥臭く、時には豪快なゴールでサポーターを沸かせた。

抜群のスピード、瞬発力を持っていたが、体質上血糖値が低いなどの理由からか90分間の運動量・持久力は無かった。ベンゲルが森山をスタメンで起用しなかったり、日本代表で活躍できなかったのも、これが理由だったとする意見もある。

Jリーグ通算で215試合66得点は、その多くを途中出場で挙げたことを考慮すると驚異的な数字であると評価していいだろう。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1992 名古屋 - J - 4 0 1 1 5 1
1993 名古屋 - J 12 4 0 0 1 1 13 5
1994 名古屋 - J 39 13 1 0 2 1 42 14
1995 名古屋 - J 42 14 - 4 0 46 14
1996 名古屋 - J 26 11 14 4 1 0 41 15
1997 名古屋 15 J 29 9 5 1 1 0 35 10
1998 平塚 29 J 4 0 0 0 2 0 6 0
スロベニア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1998-99 ゴリツァ スロベニアリーグ 10 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1999 広島 11 J1 11 3 0 0 3 0 14 3
2000 川崎 9 J1 14 0 5 0 1 0 20 0
2001 名古屋 15 J1 26 12 3 0 1 0 30 12
2002 名古屋 15 J1 7 0 5 0 - 12 0
札幌 9 J1 4 0 - 3 0 7 0
2003 札幌 15 J2 5 0 - 0 0 5 0
2004 名古屋 35 J1 1 0 0 0 - 1 0
2005 岐阜 15 東海2部 8 2 - - 8 2
2006 岐阜 15 東海1部 11 5 - 2 1 13 6
2007 岐阜 15 JFL 8 0 - 3 1 11 1
2008 岐阜 15 J2 -
通算 日本 J1 215 66 39 5 18 3 272 74
日本 J2 5 0 - 0 0 5 0
日本 JFL 8 0 - 3 1 11 1
日本 東海1部 11 5 - 2 1 13 6
日本 東海2部 8 2 - - 8 2
スロベニア スロベニアリーグ 10 1
総通算 257 74

[編集] 代表歴

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(1997)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1997 1 0
通算 1 0

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この記事の更新日時:2009年01月04日04時00分

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