磯貝洋光

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選手名磯貝洋光(いそがい ひろみつ)
高校名帝京
ポジションMF
生年月日1969年4月19日
身長体重177cm
血液型
出身校・クラブ熊本県下増城郡
経歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

磯貝洋光 から転送)
礒貝 洋光
名前
カタカナ イソガイ ヒロミツ
ラテン文字 ISOGAI Hiromitsu
基本情報
国籍 日本
生年月日 1969年4月19日(39歳)
出身地 熊本県
身長 176cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF
利き足
代表歴
1995 日本 2 (0)


Template(ノート 解説)サッカー選手pj

礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年4月19日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身の日本の元サッカー選手。現プロゴルファー

なお、姓を「磯貝」と誤って紹介されることがしばしばあるが、正しくは「礒貝」である。

目次

[編集] プレースタイル

典型的な天才肌タイプの選手であり、クラシックなゲームメーカー。運動量が少なくプレーのムラも多かったが、非凡なるパスセンスを持ち、両足共に高い精度を誇っていた。 ガンバ大阪時代のゲームメーカーとしてのイメージが強いが、高校や大学時代にはFWとして、また浦和レッドダイヤモンズ時代には展開力を買われてボランチでプレーした経験も持つ。フリーキックも得意であり、1試合の間に左右両方の足で決めた事もある。

[編集] 来歴

小学校時代に全日本少年サッカー大会に出場すると「天才」サッカー少年として脚光を浴びた。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。 1985年に高校サッカーの名門帝京高校に入学すると1年生から10番を背負った。1986年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースアジア予選に出場した。

1988年に東海大学に入学すると澤登正朗と共に1年時からレギュラーとして全日本大学サッカー選手権大会を始め多くのタイトルを獲得した。また1991年に日本代表に選出され、4月のスパルタク・モスクワ戦と5月のバスコ・ダ・ガマ戦でプレーしている(在学中はAマッチ出場は無し)。Jリーグ開幕前年の1992年に東海大学を中退して、ガンバ大阪に入団。自身への挑戦のため、あえて馴染みのない関西のクラブに入団したとの事である。

その後は永島昭浩本並健治らと共に、Jリーグ初期のガンバ大阪を盛り上げた。常に主力として活躍し、キャプテンを担った事もあった。1995年日本代表としてインターコンチネンタル選手権で念願のAマッチデビューを果たすがこれが最後の代表出場となった。1997年浦和レッドダイヤモンズに移籍したが翌1998年に現役を引退した。Jリーグ通算成績は135試合出場29得点。

現在のところ日本プロゴルフ協会の会員一覧に掲載されていないが[1]プロゴルファーとして日本のトップを目指すと公言している[2]

2007年1月に行われた学生時代からのライバル・澤登の引退試合に招待され、参加。しかしマラドーナの如く、肥満体と称しても良いほど現役当時とは明らかに変わり果てた姿(プロゴルファーと言う現在の職業を考えたとしてもショッキングだった)で登場し、訪れたファンを絶句させる。しかし華麗なパスなど現役時代を髣髴とさせるプレーを披露しファンを沸かせた。

[編集] エピソード

  • 日本サッカー界における「未完の大器」や「早熟の天才」といえば、未だに礒貝の名前を挙げる者が多い(菊原志郎もよく出てくる)。「生まれるのが10年早ければ木村和司ワールドカップメキシコ大会を狙えた」とか「10年遅ければゴールデンエイジとして海外で活躍していた」などと仮定で語られることの多い選手でもある。それだけの期待を抱かせる選手であった。
  • Jリーグ初期の頃、シジマールの連続無失点記録を予告ゴールで破った。
  • 松波正信は帝京の先輩である礒貝に憧れ、「パスを受けたい」との理由でG大阪を選んだ。
  • 森山泰行は帝京の同期である礒貝と「もう一度コンビを組みたい」との理由で当時在籍していたグランパスから移籍志願した。
  • 1987年度の全国高校サッカー選手権準々決勝で澤登正朗率いる東海大一高と対戦。PK戦にもつれた試合の最後のキッカーとなりこれを外している。
  • 東海大学在籍時の1991年に休学し、スペインへ半年間留学をしている。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1992 G大阪 - J - 8 0 3 0 11 0
1993 G大阪 - J 28 6 4 0 2 0 34 6
1994 G大阪 - J 40 6 3 0 4 0 47 6
1995 G大阪 - J 37 13 - 4 4 41 17
1996 G大阪 - J 20 1 9 2 4 2 33 5
1997 浦和 14 J 10 3 0 0 1 0 11 3
1998 浦和 14 J 0 0 0 0 - 0 0
通算 日本 J1 135 29 24 2 18 6 177 37
総通算 135 29 24 2 18 6 177 37

[編集] 代表歴

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(1995)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1995 2 0
通算 2 0

[編集] 音楽作品

  • 「ビバ!ガンビーノ」(マーキー&ガンビーノ with 礒貝洋光)
1994年発売。ガンバ大阪オフィシャルサポーターズソング。公称3万枚を売り上げた[1]
FM802OSAKAN HOT 100では最高位23位[2]、100位以内に18週ランクインし続けた。

[編集] 脚注

  1. ^ 森綾『読むFM802』(ISBN 4822740137)、日経BP出版センター、1994年、240頁。
  2. ^ 森綾、前掲書239-240頁。

[編集] 関連サイト


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この記事の更新日時:2009年01月02日04時00分

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